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2016年7月8日金曜日

真の菩薩行

『ある人』が、『ある先生』のお供で、インドに行きました。 『ある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。
しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。
そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。
点滴を打ったら、『ある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『ある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『ある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『ある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『ある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。
真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。
その後、『ある先生』は、恩に着せることなく、そして、『ある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

2016年7月6日水曜日

あぁ有り難い

障害を持って生まれてきたある一人の青年がいました。 青年は、学生時代に障害のことでイジメにあったり、機能回復の手術を何回も受けたりと、 困難な人生を歩んできました。
そんな青年の母は、お見舞えに来た人達などに、ことある毎に『有り難い有り難い』と言っていました。 しかし、青年は、何がそんなに『有り難い』のかいつも疑問に思っていました。
そんな中、母のご縁で、とあるボランティアに参加することになったのです。 はじめは、母の手前、我慢して、何でオレがと・・・参加していたのですが・・・。
しばらくして、ボランティア人達とも打解けて仲間になり、そして、その仲間のやさしさにふれた時に、 はじめて、心の底から『あぁ有り難い』と思える感動が湧き上がってきたのです・・・。
そして、それは、お母さんやご先祖さまから受け継いだ感謝の気持ちだったのかも知れません。

2016年7月2日土曜日

「正」しいとは?

昨日、法華経の勉強会がありました。その時、正しいの「正」は、一(真理)が止まると書きます』と説明がありました。そこで、すかさず、一は真理とイコールですかと質問をしてみました。
すると、『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』と説明がありました。
つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。
正しいHTML、正しいかな使い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。

2016年6月29日水曜日

『辛』と『幸』

今日は、午前中に某出版社の社長さんの講演会へ行きました。
講演では、記者出身の社長さんが、記者時代に取材現場の感動を如何に文章(記事)で表現することが難しいかというお話しをしていました。
確かに、感動を文章で表現するのは、超難しいです。
で、社長さんが言うには、結局、如何に自分がその感動で高まるかが、キーポイントになるそうです。
あと、特に心に残ったお話しで、仏法では、『一切皆苦』という教えがあります。つまり、生きることは、すべて苦しみという教えです。 そして、苦しみであるがゆえに、生きるのが『辛』いわけです。
また、その『辛』さの原因を見極め、結果的には善い行いをしていくと『辛』という字に真理(一)が宿り『幸』になるとの事でした。なるほど、うまい。

2016年6月23日木曜日

法華経的人生の目的

あなたの人生の目的はなんですか?

なんて、突然言われてもこまっちゃう・・・。とか、そんなこと考えたこともない・・・、と思った人がほとんどだと思います。そこで、そんな人のために、今日、法華経の講習会で教わった、法華経的人生の目的をご紹介致します。
法華経的人生の目的
人間の本質は、仏性であることを自覚し、自分と他人を分けて自己中心に考える「我」の心を取り除きながら、いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」と常に一体感を味わえる境地(成仏)にまで、絶えず向上の道を歩むこと。
まぁ、こんな感じです。『いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」』がつっこみどころかもしれませんが、とにかく、法華経的には、すべての人は「一つの大きな輝くいのち」に生かされていると説かれています。
わかりやすく言うと、魂的には、実は全人類皆兄弟姉妹で、だからこそ、仲良く助け合って生きて、皆さん全員幸せになりましょう ってことらしい。(まだ、修行中なのではっきり言えない・・・)
で、まとめですが、ちょっとテーマが大きすぎて、まとまりませんが、次回の機会にと・・・ということで、よろしくお願い致します。

2016年6月22日水曜日

バスの時刻表

あるバス停におじいさんとおばあさんがいました。
なにやら、おじいさんは時刻表をぶっ叩いて怒っています。
『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』

すると、連れ合いのおばあさんが言いました。
『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』

現実の社会は、このバスと同じように、決して時刻表通りにはいきません。しかし、時刻表があるからこそ遅れているのがわかるのです。
そう、お釈迦さまの教えは、バスの時刻表のようなものです。
人生は、時間通りに来ないバスのようなものだからこそ、つねに時刻表(お釈迦さまの教え)と照らし合わせて、その差を埋めるべくことに価値があるのです。
そして、その価値こそ、『生きがい』と呼べるものだと思います・・・。

2016年6月20日月曜日

神通力

まぁ、現代では超能力のことですが、お釈迦さまの時代は神通力と呼ばれていました。で、お釈迦さまをはじめ十大弟子の人達は皆、神通力の能力を持っていたとされています。
これは、凡人は、どうしたら神通力を会得できるのかと考えてしまいますが、実は、神通力を会得するのが目的でなく、仏道の修行をしていれば自然に会得してしまうものだそうです。そして、ブッダ教団の幹部は、結果的にMr.マリックのような人の集まりになりました・・・。
しかし、この幹部連中を見ていて、オレも神通力が欲しいと願っていた者がいました。そう、お釈迦さまの従弟の提婆達多です。
この人、お釈迦さまと同じように優秀な人でしたが、あらゆる面で一歩お釈迦さまに及びません。で、しだいにお釈迦さまに悪意を持つようになり、いろいろとお釈迦さまの命を狙います。神通力も十大弟子の一人をそそのかし、会得してしまいます。もともと優秀な人ですので、次第に実力者になっていきますが、もろもろの悪行がたたり、最後には生きながら地獄へ落ちたと言われています。
なんか、まとまりませんが、とりあえず、提婆達多品第十二の予告でした。

私も、仏道(法華経)を修行していますので、そろそろ神通力が欲しいなぁ・・・って言ってみるテスト。
あっ、そう言えば、スプーン曲げは出来るんですよ! Mr.マリックの真似したら出来てしまったのです。凄い!
で、まとめですが、正しい行い(修行)をしていくと自然に神通力が会得できるらしい・・・、とにかく正 しい行いです!

2016年6月19日日曜日

悩んだ人ほど、真理はすぐ傍に・・・

『ある先生』のお供で『ある人』が海外へ行きました。
『ある人』は、そこで、日本語交じりの英語で何かいろいろ回りの外人さんに話し掛けている日本人を見かけました。どうやら海外で迷子なって凄く動転している模様です。迷子の人は、『ある人』が日本人あるとすぐわかったので、地獄で仏のごとく、助けを求めてきました。
で、手がかりは、Sの付く看板があるホテルに泊まっているとのことで、さっそく、Sの付く看板があるホテルを探しましたが、これだけの手がかりでは、まったく、分かりません。そこで、地図でSの付くホテル探しをしていたらシルトンホテルがあり、それを発音すると『おー、その名前のホテルだ!』と迷子の人は言いました。
そして、なんとそのシルトンホテルは、今立って居る斜め後ろのビルではありませんか!
悩みに悩んで、探しに探していたら、いつの間にか探していたホテルのすぐ前に居たのです。しかし、居ても気づかずに・・・。

このことを『ある人』は、『ある先生』に報告すると、『ある先生』は、以下のようにおっしゃいました。
『人助けが出来てよかったですね。悩みに悩んだ人ほど・・・真理のすぐ傍にいるものです・・・。』

2016年6月17日金曜日

法華経を一言で言うと・・・

法華経の大家である庭野日敬氏は、あるインタビューで『法華経を一言で言うと何でしょう?』と聞かれました。 法華経を知り尽くし、実践尽くした庭野日敬氏は、さて、なんて答えたでしょうか・・・。
興味深々ですね! で、いろいろ想像してみてください。『六波羅蜜』『縁起観』『四諦』『十如是』・・・。

お待たせしました。答えです。
『法華経を一言で言うと何でしょう?』とインタビューされた庭野日敬氏は・・・。
『良いご縁を作ることです。』とお答えになりました。さすが、庭野日敬氏。
いや~、まさに法華経を一言で言ってのけました。
さぁ、皆さ~ん、良いご縁を作りましょう! ・・・ということで、まとめとします(合掌)。

2016年6月16日木曜日

わかりやすい法華経

『進んで良いことを行う。』すなわち、これ法華経なり。
今日、ある人から教わった、わかりやすい法華経です。
正しい事を実践して、良い縁をつくり、自他共に幸せになる。

2016年6月15日水曜日

一切皆苦

もっと、いい生活を送りたいとか、いいパソコンが欲しいとか、次男に来年大学に受かってほしいとか、三男が大学に受かるまで(後4年)はリストラされないとか、つい苦しくて神仏に手を合わせて祈ってしまいます。

しかし、釈尊の教えは『一切皆苦』と説かれているのです。すべては苦しみなのだと・・・。
なので、神仏にいくら手を合わせても、実は『一切皆苦』は、変わらないのです。

では、なぜ昔から神仏に手を合わせるのかというと・・・。
それは、今ここに、神仏によって生かされていることへの感謝の気持ちを表す行為なのです。
たとえば・・・
  • 毎朝、目が覚めて、息をしていた。あぁ有り難い。
  • 病気もせず、リストラもされず、今日も会社に行ける。あぁ有り難い。
  • ぼろノートパソコンだけど、こうやってブログを更新できる。あぁ有り難い。
  • ランキングで一時3位まで行ったけど、20位以下になってしまった。でもランキングに参加できるだけで有り難い。
  • 長男はいつ寝ているのかわからないけど、とりあえず生きている。あぁ有り難い。
  • 次男は受験勉強を全然していないけど、明るさだけは失っていない。あぁ有り難い。
  • 三男は三鷹大会を制してから毎日バスケットの練習に夢中で、本当は体にちょっと心配があるのだけれど、今のところ大丈夫そう。あぁ有り難い。
というように、祈りは、神仏にお願いをするのではなく、今あることへの感謝の気持ちを表す行為なのです。

で、本ブログでなにが言いたかったかというと・・・。
神仏にいくらお願いをしても『一切皆苦』はなくならず、今ここに生かされてるという奇跡に気づくと、なぜか苦しみがなくなったような気がして、頑張れる気がしてくるのです。

2016年6月13日月曜日

劫濁(こうじょく)

法華経の方便品に劫濁(こうじょく、または、濁劫という場合もある)という言葉がでてきます。
これは、世の中が同じ状態が長くつづくと動脈硬化をおこして汚れてくるという意味です。

今の世の中、まさにコレですね。
天下りや渡り、2世3世議員、いつの間にか国のトップは、普通のおじさん達になってしまいましたね。

2016年6月11日土曜日

一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し

今朝、ネットをしていて見つけた『マンガ仏教ゼミナール』。
ここに『雑阿含経』の「盲亀浮木の譬え」が載っていました。
「盲亀浮木の譬え」とは、江原さんの影響か・・・人間が死んだら、すぐ生まれ変われるみたいな誤解がありますが、実は、生まれ変わるには物凄く大変だという譬えなのです。
とにかく、百年に一度、浮かび上がる目のみえない亀が、海に浮かぶ丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れる確率より、人間に生まれ変わるのは大変だという譬えです。

つまり、人間に生まれるのはすごく大変なことなのだから、命は大切にしなさい・・・という教えなのです。
実は、法華経でも『一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し』というフレーズが24番の妙荘厳王本事品にあります。
こちらは、仏の教えに遭えることの大変さを譬えています。

2016年6月10日金曜日

和顔愛語(わげんあいご)

和顔愛語とは、「大無量寿経」にある仏教の言葉で、笑顔が幸せを呼び込むという教えです。
上記リンク先に以下のようなことが載っていました。
全国を回っている売薬さんから聞いた話だけど、奥さんの対応によって、その家の未来が分かるそうです。
明るい笑顔をたたえている奥さんの家は、1、2年後に行ってみると、必ず家を新築したり改築したり、庭がきれいになっている。
ところが、苦虫かみつぶしたような奥さんの家は、相変わらず玄関に履き物が散らばり屋根瓦が落ちたりしている。
一家の盛衰は、笑顔で決まりますね。
そう、その人はしみじみ語っていました。
http://www.b-seminar.net/comic/01806.html
とにかく、家を整えないと・・・とくに玄関は念入りに・・・。
そして、和顔愛語ですね。

実は、笑顔によって人の心を和ませることは、大切な布施行の一つだと仏教では教えられているのです。

2016年6月8日水曜日

ダンナ(旦那)とは

旦那とは、そう、我々亭主のことです(独身者は除く)。

実は、旦那の語源は、古代インドのサンスクリット語で『ダーナ』といい、「布施」を意味します。
「布施」は、慈悲心や情け、思いやりを表しいます。

昔、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」の意味として用いられていました。
やがて、一般にも広まり、稼いだお金(ある意味、布施)で生活の面倒を見る人、つまり、妻が夫を呼ぶ敬称として旦那が用いられるようになったのです。

まさに、我々旦那衆は、家族のために布施する存在ですね。
財布の中は、最近は小銭しか入っていませんが、こんな時だからこそ、本来の旦那になっているのですね(^^;

2016年6月4日土曜日

あらやしき(阿頼耶識)を清める

最近、仕事のプレッシャーなのか精神的に不安定で、夢の中でも結構叫んでいるらしい・・・。
となりで寝ているママが驚いて、私を起こしてくれるのです・・・顔面ピンタとかで(^^;。

こういう時は、法華経読誦(ご供養)が効きますね。特に陀羅尼(26番、28番)がいいようです。
ここのところ、毎日の法華経読誦が復活しました。確かに精神が安定してきました。
法華経読誦が、なぜ精神安定に効くかというと・・・私が思うには以下の感じです。

潜在意識や無意識のことを仏教では、あらやしき(阿頼耶識)といいます。
この阿頼耶識に仕事のプレッシャーなどがインプットされるみたいです。

しかし、阿頼耶識は、意識的には制御できない無意識の領域なのです。
また、法華経には良い事が沢山書かれています。

つまり、良い事が沢山書かれている法華経を、毎日毎日繰り返し読むことによって、潜在意識に刻み込まれ、プレッシャーの意識などを追放して、阿頼耶識を清めることができるみたいです。

当分、阿頼耶識を清めて参ります。
ついでにママの阿頼耶識も清めてあげるって言ったら、あなただけには言われたくないと、強い拒絶を受けました(^^;

2016年6月1日水曜日

釈提桓因(しゃくだいかんいん)とは

法華経序品第ーに以下のくだりがでてきます。
爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。
釈提桓因とは、帝釈天の別名で、娑婆世界のうえにある天上界の主とされていました。
その帝釈天の眷属には、以下の天子がいました。
  • 名月天子(月の神)
  • 普香天子(星の神)
  • 宝光天子(日の神)
  • 持国天(四大天王の一人:東方を護る)
  • 多聞天(四大天王の一人:北方を護る。別名:毘沙門天ともいう)
  • 増長天(四大天王の一人:南方を護る)
  • 広目天(四大天王の一人:西方を護る)
実は、これらの神々は、仏教ではなくバラモン教(古代インドの宗教)の神なのです。
釈迦は、これらの神々を排除することなく、仏法護持の神々としたのです。

2016年5月23日月曜日

終日竟夜(ひねもすよもすがら)とは?

法華経譬喩品第三に以下のくだりが出てきます。
世尊、我昔よりこのかた、終日竟夜毎に自らを剋責しき。
終日竟夜は、「ひねもすよもすがら」と読み、「昼も夜も常に」という意味だそうです。

2016年5月21日土曜日

「みょう牛(ご)の尾を愛するが如し」とは?

法華経譬喩品第二に以下のくだりが出てきます。
みょう牛(ご)の尾を愛するが如し
みょう牛(ご)というのは、ヤクのことで、毛の長い(特に尾が)種類の牛です。
この牛は、この尾を大変大切にしていますが、それが元で殺されたそうです。(人間はその尾をとるために殺す)

ということで、上記は、自分にとってはたいした役に立たぬものに心をとらわれ、かえってそのもののために不幸を招くことの譬えで用いられました。

2016年5月18日水曜日

高原穿鑿の譬え

法華経法師品第十に「高原穿鑿(せんしゃく)の譬え」というくだりがあります。
薬王。譬如有人。渇乏須水。於彼高原。穿鑿求之。猶見乾土。知水尚遠。施功不已。
転見湿土。遂漸至泥。其心決定。知水必近。菩薩亦復如是。
水のない高原に井戸を掘るのは、現実の苦しみから逃れようという救いをもとめる努力の譬えです。
掘り初めのうちは、絶望感を感じますが、しだいに水気をたっぷり含んだ土にぶつかるのです。
この土こそ、真実の教え「法華経」なのです。
その「法華経」を得て、さらに掘りつづけていくことが、「菩薩行」にほかなりません。

2016年5月17日火曜日

願生(がんしょう)

法師品第十で以下のくだりがあります。
衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。
衆生を救おうという願いと慈悲心によって生まれ変わってくること。これを願生(がんしょう)という。

人間とは、もともと人の意味でなく、人と人の間のことで世間という意味です。
そして、「此の間に生れ」とは、「世間に生まれる」ということであり、「人間に生ずる」ということです。
菩薩行とは、衆生を救おうと広く妙法華経を演べ分別すること。

ということで、人は、自覚はないのだけれど、菩薩行をするために願って生まれてくるらしい。

2016年5月7日土曜日

唯我れ一人のみ。能く救護を為す。

法華経譬喩品に以下の一節(偈)があります。
今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く吾が子なり。而も今此の処は。諸の患難多し。唯我れ一人のみ。能く救護を為す。
意訳:
この三界はみんなわたしのものだからです。
その中にいる衆生はすべてわたしの子だからです。
しかも、この三界にはもろもろの苦しみ悩みが満ち満ちているのです。
どうして、わたしがこの苦の世界に飛び込んでいって、わが子を救わずにいられましょう。
しかも、みんなを救うことのできるのは、たった一人、わたししかいないのですよ。

解説:
「みんなを救うことのできるのは、たった一人、わたししかいないのですよ。」のフレーズは、
普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、みんなを救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであると・・・。

逆に云うと、宇宙の真理に沿って生きていけば、みんな救われるということです。
では、宇宙の真理とはなにか?

私が思うには、「正しい行いをしていくと幸せになる」です。
もうちょっと詳しく言うと
「正しい行いを続けていくと、善い縁が沢山できて、善い結果が生じ、世界が大調和し、みんなが幸せになる」
だから、毎日読誦する『唯我れ一人のみ。能く救護を為す。』の偈は、心に勇気を与えてくるのかなと思う次第です。

ちなみに、三界とは、凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたものです。
つまり、「この世」は、「三界」に含まれるのかな。

2016年5月5日木曜日

三帰依文とは

三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
大衆を統理して、一切無げならん。
実は、「まさに」からのくだりは、日本の江戸時代末期の仏教学者が、『法句経(ほっくきょう)』『華厳経(けごんきょう)』『法華経(ほけきょう)』の経文の一部を組み合わてまとめたものだそうです。

オリジナルは
自ら仏に帰依したてまつる。
自ら法に帰依したてまつる。
自ら僧に帰依したてまつる。
で、これを3回唱えるらしい。
この三帰依は、仏教初期(約2500年前)の時に教団へ入る不動の心構えとされていました。

とりあえず、前に書いた三帰依の記事2つ。

実は、毎日唱えているのだけれど、いいかげんに覚えていて、経本を見てないと正確に言えないのです。
だから、ネットに公開して覚えようとしています(自分)。

2016年5月3日火曜日

一大事の因縁とは

法華経方便品に以下の一節が出てきます。
諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なるを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
舎利弗、是れを諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうとなづく。
要約すると、仏さま(諸仏)は、我々(衆生)の良心(仏性・仏知見)を「開き」「示し」「悟らせ」「正しい道に入らしめる」ため、この世に出現したとのことです。

逆にいうと、我々は、仏道とご縁になることにより、良心(仏性)に目覚め、正しい行いをしていくことが、結果的に幸せになれることであり、それが生きがいなのだと・・・。

2016年4月28日木曜日

三世・三界・三世間

まぎらわしいので、整理しときます。

ちなみに、三世界とは、仏教用語ではないみたいです。

2016年4月22日金曜日

仏の三十二相

以下は、いわゆる、仏の三十二相です。
無量義経の徳行品に出てきます。

釈尊の完全な人格への賛嘆を示しているとされています。
仏像は、まさにそのような形になっていますね。

  1. 額にある月のような渦毛
  2. 項(うなじ)に日の光あり
  3. 渦巻く頭髪は紺青色
  4. 頭上は高く盛り上がっている
  5. 澄み切った鏡のような清らかな眼
  6. その眼は上下にまじろぎ
  7. 紺色の眉はのびのびとし
  8. 口や頬は正しく整い
  9. 唇は赤い花のよう
  10. 舌もおなじく
  11. 歯は、雪のように白く
  12. 40本きちんとそろって
  13. 額は広く
  14. 鼻長く
  15. 顔全体がひろびろとして晴れやかで
  16. 胸には卍が表れ
  17. 上部は獅子の胸のように張って
  18. 手も足も柔らかで
  19. そして車の輪ような紋ある
  20. 脇の下と掌に細い線が揃っていて
  21. それが内外ともにまとまっている
  22. 上腕はながく
  23. 下腕もながく
  24. 指はまっすぐで細く
  25. 皮膚はキメ細やかで柔らかく
  26. 毛はすべて右のほうに渦巻いている
  27. 踝はよく現れて形がいい
  28. 膝も同様
  29. 陰部は隠れていて見えず
  30. 筋は細く
  31. 骨はがっしりしていて
  32. 脚は鹿のようにすらりとしている

補足:
額にある月のような渦毛のことを白毫相(びゃくごうそう)といい、非常に徳の優れたしるし。
項(うなじ)に日の光ありは、後光ともいい、非常に徳の優れたしるし(もしかしてオーラ?)。
卍(万字)は、仏教のしるし。四方が円満に揃っている意味。

2016年4月13日水曜日

サッダルマ・プンダリーカ・スートラ

法華経こと『妙法蓮華経』は、サンスクリット(梵語)でサッダルマ・プンダリーカ・スートラといいます。

  • サッダルマとは、サット(正しい)とダルマ(法)が合わさったもので、そのまま正法を訳した人ともいますが、鳩摩羅什は『妙法』と訳しました。
  • プンダリーカとは、白い蓮の華で、そのまま『蓮華』と訳されました。
  • スートラとは、通し糸で、漢字での縦糸を表す『経』と訳されました。

妙法蓮華経の『従地涌出品 第十五』に以下の偈があります。
『善く菩薩の道を学して、世間の法に染まざること蓮華の水の在るが如し』
つまり、法華経は、正しい法を学して、それに沿っていれば、泥水にも染まらず、いつも清らかな白い蓮華のようにいられる…という意味になると思います。

2016年4月12日火曜日

阿鼻地獄(あびじごく)と阿迦尼タ天(あかにたてん)

法華経の序品に、無量義を説いた後、三昧に入っていたお釈迦さまが、『眉間の白毫相(びゃくごうそう)より光を放ち、その光が、下は阿鼻地獄(あびじごく)、上は阿迦尼タ天(あかにたてん)に至る』というクダリがあります。

  • 阿鼻地獄は無間地獄ともいい、人間のあり方における最低の状態(地獄界)です。
  • 阿迦尼タ天は有頂天ともいい、人間のあり方における最高の状態(天上界)です。

つまり、光は『仏の智慧』の象徴で、それが、どのような状態の人間にでも行き届きました。
そして、このことがどいうことか、疑問に思った弥勒菩薩が文殊菩薩に教えを請いました。
そう、法華経のはじまりです。つづく…。

2016年4月10日日曜日

慈悲と智慧

まずは、おさらいです。
  • 慈悲の慈とは、慈しみ与え幸福にしてあげること。
  • 慈悲の悲とは、悲しみを取り除いてあげること。
  • 智慧の智とは、すべての物事の違いを見分ける力。
  • 智慧の慧とは、すべての物事の共通を見いだす力。
そして、弥勒菩薩は慈悲の象徴の菩薩で、文殊菩薩は智慧の象徴の菩薩です。
『疑問に思った弥勒菩薩が文殊菩薩に教え請いました。』
ということは、『慈悲』が『智慧』に呼びかけたということになります。
『慈悲』の呼びかけに応じて『智慧』が発動するのです。

菩薩行とは、相手を救ってあげたいという、やむにやまれぬ慈悲の心です。
ところが、慈悲だけではダメで、そこには智慧がともなわないといけません。
慈悲と智慧がそろってはじめて、正しい導きができるのです。

2016年4月9日土曜日

三昧とは

普通、三昧とは、遊び三昧とか温泉三昧とかで、楽しいことをずーっとやっている意味で使われます。
また、無念無想になる行のように思う人もいるかも知れません。

しかし、仏教でいう三昧とは、そのようなものではなく、一切の雑念を断ち切り、<善き思い>と<正しい教え>に<全精神を集中>し、
その一念が長い間切れ目なくつづいている状態を言うのです。
瞑想とか思索と違うところは、『<善き思い>と<正しい教え>に<全精神を集中>』というところです。

<善き思い>とは、徳のことです。
<正しい教え>とは、法のことです。

そして、<全精神を集中>とは、表面の心だけでなく、潜在意識までも、徳と法をしみこませることなです。
徳と法が沢山しみ込んだ人格こそ、仏教徒の目指すところなのです。

とにかく、三昧とは、一切の雑念を断ち切り『<善き思い>と<正しい教え>に<全精神を集中>』することなのです!

2016年4月7日木曜日

法華経の教え

法華経の教えとは
悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。
仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。
『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬 佼成出版社) より


ごく身近な心の中と日常生活の中にあるとは、まさにその通り、素晴らしい気づきだ!